小樽「町のすし」

小樽「町のすし」

小樽の味「町の」寿司の歴史

創立者町野仁志(昭和11年カラフト出身)は旭川東高校を卒業後、東京の和歌奈寿司、小樽では「大和家」、「栄六」で修行を積み、昭和43年、独立して「まちの寿司」を開業します。社長のサービス精神と気さくな性格でお店は大繁盛!
しかし喜びも束の間、やっと軌道に乗り、安定してきた6年目に火事で全焼します。再建のめども無く前途多難の中、多くの友人、業者さん、お客様に励まされ、支えられて、2年後には花園町のメイン通り(現在のおたる寿司屋通り)で再スタートをすることが出来ました。
「すべてのお客様に満足して頂きたい!」と言う想いから、寿司屋としては珍しい店作りに挑戦。生ものが苦手なお客様の為には天丼やうな重、五目チラシ寿司を用意。地元では宴会も多く、メニューにウニ鍋を考案します。
現在も宴会料理には小樽でも「町の」にしかないたっぷりの野菜とうどんの入ったウニ鍋が大好評です!運河支店では旭川のラーメンも取り入れ、寿司とラーメンセットなどのメニューでリピーターのお客様を増やしました。
平成14年には同じ寿司屋通りに本店を移転し、屋号を“小樽の味「町の」”と改めて、長男の町野太郎(昭和40年小樽出身)が二代目社長として継いでいます。

社長紹介

小樽工業高校を卒業後、東京の赤坂利休、アメリカのロサンゼルスで修行をした後、サントリーへ入社。サントリーの海外事業部である和食レストランの派遣社員としてブラジルのサンパウロに6年滞在し、海外での寿司の修行を積んで参りました。
小樽へ帰国してからも「ワシントンDC桜祭り」にボランティアで寿司を握り、日本全国の寿司職人さん達とも交流を深めました。
「より多くのお客様のご要望にお応えし満足して頂きたい」と言う先代の想いを継ぎ、新感覚の寿司店を模索。お酒が好きなお客様の為にはザンギや枝豆、ちょっと変わったトロステーキやあなごチーズ焼などの居酒屋風の一品メニューも取り入れ、女性のお客様の為には人気の「海鮮サラダ」や「海鮮マリネ」、お子様には「お子様寿司」や「お子様ランチ」も用意しました。
あくまでも「寿司」がメインではありますが、伝統を守りながらお客様の求める変化にも敏感にありたいと思っております。地元小樽のお客様にも、観光のお客様にも満足して頂ける様に日々精進して参ります。

寿司屋通りの歴史

今でこそ「寿司」で有名な小樽ですが、当時有名なのは「北一ガラス」さんぐらいでした。
全国へ向けて「寿司の街・小樽」を強く発信しようと、老舗の寿司店「まちの寿司」、「政寿司」、「大和家」、「日本橋」、「しかま寿司」の5店舗の店主たちが集い「おたる寿司屋横丁」と名づけました。各店舗がメディアに取り上げられ、テレビや雑誌などで紹介されました。時代の流れで後に「おたる寿司屋通り」と命名しました。
今でも店主達は仲良くお酒を飲みながらアイデアを出し合っています。今年で開催5年目を迎えた5店舗を食べ歩く(各店で4貫ずつ、合わせて20貫の寿司を¥3000+税で食べ歩く)イベントにも1200名のお客様が来てくださいました!
活気あふれる寿司屋が多く立ち並ぶ中で、時代を築き、小樽の味を守り続けてきた老舗5店舗です。
当店の“まごころの味”を堪能してみてください。心よりお待ち申し上げております。

このページの先頭へ